知床旅情の白いかもめ逝く

森繁久彌さんが逝った。

オイラにとっては、俳優としては懐かしの映画をテレビで見たりするのだが、歌手としての♪知床旅情の独特の歌い方にみる、その曲の作者という思い出が強く残っている。

ウィキペディアによると、

知床旅情 by Wikipedia
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楽曲制作者は、俳優業のほかに歌手としてNHK紅白歌合戦への出場歴もある森繁久彌である。森繁が1960年の映画『地の涯に生きるもの』の撮影で知床半島羅臼に長期滞在している間制作され、その最終日に羅臼の人々の前で『さらば羅臼よ』という曲名で披露された。1962年の大晦日に放送された第13回NHK紅白歌合戦では、森繁自身によって披露された。
(略)
また1970年に加藤登紀子がリリースしたアルバム『日本哀歌集』で取り上げ、同年にシングルのB面曲としてシングルカット。徐々に人気に火がついた。翌1971年にはオリコンのヒットチャートで7週連続の1位を獲得、同年のオリコン年間ヒットチャートで2位に輝いた。
(略)
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とあり、オイラにとってこの曲の歌手としては、加藤登紀子さんの歌の方がなじみが深い。


で、本題だが、

知床旅情 森繁久彌 歌詞情報 by goo 音楽
の通り歌っていた。たぶんほとんどの方がそう思っていたことだろう。

ところが

今日NHKテレビのニュースで言っていたのだが、加藤登紀子さんによれば、最後のフレーズの歌詞は、
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私を泣かすな 白いかもめよ
白いかもめよ
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ではなく、

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私を泣かすな 白いかもめ
白いかもめ
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と歌ってくれと、かつて森繁久彌さんから言われていたのだそうだ。

つまり、ここ(羅臼)を去っていく自分(森繁さん自身)を白いかめもになぞらえているのだという。

ご冥福を祈ります。